県が昨年創設の無形民俗文化財 登録1号は金物神社の年中行事「鞴まつり」 三木


2021年の鞴まつりでの火入れ式=三木市上の丸町(三木市提供)

2017年の鞴まつりでの刃物供養祭=三木市上の丸町(三木市提供


兵庫県三木市上の丸町の金物神社の「鞴(ふいご)まつり」が、県の登録無形民俗文化財に選ばれた。「金物のまち三木」の鍛冶職人らが長年、受け継いできた年中行事。同文化財の制度は昨年4月に創設され、鞴まつりは初めて登録された5件のうちの一つとなった。三木工業協同組合の担当者は「第1号で光栄。歴史ある伝統行事を守っていきたい」と力を込める。(長沢伸一)

 「鞴まつり」は毎年12月の第1日曜日に開かれる。三木金物神社奉賛会が主体となり、神社での神事の後、古式装束をまとった工匠がふいごでおこした火で鋼を鍛錬する火入れ式を行う。その火を護摩壇に移し、市民から寄せられた刃物を供養する。

 行事の始まりは明確ではないが、「美嚢郡誌」(1926年)には「鞴祭ハ三木町年中ノ一大行事ナリ」とある。三木のまちは、江戸時代後期の文化年間に多数の鍛冶屋が広がり、遅くとも明治時代には始まったと推測される。


「美嚢郡誌」には、かつては旧暦の11月8日に行われ、その後新暦の12月8日に日程が変わったと記されている。三木町周辺の鍛冶職人は全員仕事を休み、7日夜から8日の朝にかけて上の丸稲荷神社に参拝した。大正期から昭和の初めごろは、親方だけが「トンビ」と呼ばれたインパネスコートを羽織り、職人や弟子を連れて同社や各地の稲荷神社などを参拝。風が吹いて寒い方が良いとされ、鞴の風が景気を呼ぶと喜ばれたという。

 1935年、稲荷神社の隣に金物神社が創建された。以降、まつりは金物神社に場所を移して開かれるようになった。

 当時の資料には、現在のような火入れ式の記述はなく、古くからの職人の逸話を知る山本鉋(かんな)製作所の山本芳博さん(75)は「神事はしていたと思うが、当時の職人が『立派な職人にしてください』と祈るための参拝の場だったのだろう」と話す。

 現在の鞴まつりで行われている火入れ式は、終戦後に始まったとされる。ふいごで送られた火で熱を帯びた鉄と鋼を匠(たくみ)たちがつちでたたいて一つにしていく儀式で、山本さんは「戦争で疲弊していたまちを金物の力で元気づけ、職人が技術を発揮する場として始まったのでは」と話す。

 金物のまちを代表する職人から「御番鍛冶師」が選ばれた。当初は1年に2人が担当。昭和40年代に入ると、「御番鍛冶師」は各年に1人に。昭和天皇の体調が悪化した88年を除き、毎年実施されている。三木金物まつりに合わせて実施された時期もあったが、2016年から12月の第1日曜日に行われている。

 かつては日常的に行われていたふいごを使った古式鍛錬は近年、機械化や職人の減少などでほとんどみられなくなった。「昔はどんな年齢の職人でもまつりの所作を完璧にこなしていた。その姿は美しかった」と山本さん。伝統的な技術を継承するため、金物神社では毎月第1日曜日に古式鍛錬が公開されている。